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零戦とかを長距離飛行させて移動させると行方不明になるだけでなく任地で発動機不調おこす機体が多くてすぐに役にたたないから空母で運べれば任地に行く補充の整備員や空母の整備員から整備してもらいながら航海出来るから着いてすぐに実戦投入出来るって昔近所にいた元零戦パイロットやったおじいさんが言ってました。
日本のは護衛空母で無く、空母型輸送艦で、陸軍機や荷物を南方に輸送してましたね!アメリカ軍の様にカタパルトが有ればね(°▽°)?
@@ヤーマイ🎉
米軍からは日本海軍の商船改造空母は隼鷹型以外は航空機輸送艦とした方が脅威だった。
回想録によれば、甲板下の艦橋は、敵機来襲の時に見通しが効かなくて困ったそうです。航空機輸送任務は、帰りに「要修理」の航空機を乗せて帰ったようです。そうしないと忙しく狭い前線基地では「要修理」と「要組み立て」の機体が同じところに放置されっぱなしになって、どうにもならなかったらしいです。
効かなくて ➡ 利かなくて
空母機用のカタパルトを実用化できなかったのが痛い・・・サマール沖海戦では、弱小な護衛空部群でもそれなりに飛行機を飛ばして、追撃する日本艦隊を翻弄できたのに。
鷹型って響きは良いんですけど…護衛艦が脆弱でなければ活躍したような💪
艦隊空母の搭乗員確保も四苦八苦でこっちまで搭乗員が回ってこないのと、当時の潜水艦は潜水も出来る船でしかないので、発見したら浮上航行で先回りして待ち伏せなので哨戒機が飛んでるだけでも浮上航行を制約出来て、潜水航行だけでは追いつけないで攻撃チャンスを逃すのでないよりゃまし。
大井篤著「海上護衛戦」に、当時の小型空母に対する所感が述べられていて、連合艦隊も海上護衛隊も(戦術単位として使い道がなく)が正直なところでもて余し気味、航空機輸送が一番に最適であったようです。
雲鷹は、大叔父が乗っていて、東シナ海で1944年に潜水艦から雷撃されて沈没したとき、戦死した船だったのですが、それを知ったのは戦後50年もたってのことでした。
ウォーターラインシリーズで買ったな。。
ワタクシも10歳で初めて買ったウォーターラインシリーズ第一号が冲鷹でした。かれこれ30年以上前ですが今も手元に健在であります。
@@タカタカ-v7x 私は最初に買ったのが、文房具屋にあった軽巡の木曽でした。そこからしばらく散財してましたww後期に買った葛城など数個はいまだに未開封。。いつか処分しないと思いつつそのまんまです。
お!木曽ですか!シブイですね初めて買った艦はやはり覚えてるものですね!ワタクシも冲鷹は覚えてるんですが二隻目は何買ったか覚えてないですw未だにウォーターラインシリーズいじくってます!10歳の頃のままおじさんになってしまいましたw
島嶼航空戦が増加…戦前に井上成美大将(最終階級)が取りまとめた「日米戦の形態」で、島嶼部の航空基地を不沈空母として整備活用する重要性を説いていましたね。海軍は元々英米戦を想定して計画されていなかった(米内光正大将の言)ので、途中で海上交通線の護衛力強化を目指しても、画餅で終わるのは当然のことだったのではないかと思います。アメリカはドイツの潜水艦攻撃で輸送船が血祭りにあげられると、対Uボートの組織を編成し、通信の傍受解析を行い、大規模な船団で航行するようにし、通信を傍受すると進路を変更。イギリスと協力して双方が対潜哨戒機を飛ばして、浮上航行中のUボートを攻撃して撃沈。それに対して、ドイツはブラックギャップポイントに潜水艦群を配置して、対潜哨戒機の航続距離圏外で輸送船団を狩りまくる。アメリカはそれに対して、商船改造の小型空母に油圧カタパルトを装備して、胴体にレーダーを装備したアベンジャー艦上攻撃機とF4Fワイルドキャット戦闘機+爆弾をペアで運用する「ハンター・キラー」システムを構築して、護衛駆逐艦のヘッジホッグ、フォクサーなどの対潜水艦火器の向上も並行して、群狼戦術を徐々に無力化。
「はちまんまる」ではなくて「やわたまる」では?
日本郵船㈱のNYK を貨客船名のイニシャルにしてるからな
艦隊型空母として魚雷調整室とか設備は正規空母に準じてるんだけど、速度や飛行甲板面積で運用に難があったからなぁ輸送艦としては高速だし、広い格納庫は荷物積むのにも都合いいなw
何より速度が、遅いから一線級の機体が運用が難しかった!戦闘機はともかく艦爆も艦攻もフルに爆弾詰めなかった、アメリカは油圧カタパルトを実用化してたから護衛空母からでもF4Fなんかをフル装備でも発艦出来た、日本にはなかった、水上機用の火薬式カタパルトはあったが九九式や97式には使えなかったからね
米空母のカタパルトはワイヤーで機体を引っ張るが、発進したあとはワイヤーはそのまま海に捨てるらしい。つながったままうまく外れなかった場合は機体を引き留めて事故になるからだろうな。
カタパルトがダメなら替わりにロケットブースターをもっと早く開発してたら実用化できてたんでないかな?
日本郵船ってこん時からあるんだ株でお世話になりました
速力が遅い、カタパルトが無い。
日本空母のカタパルトですが、昭和16年、空母・加賀に3基のカタパルトが装備されて試験に入る予定だったのですが、カタパルトの地上試験で射出した機体が破損して「こんな危ない装備は必要ない」と搭乗員達の猛反発を受けて、その後太平洋戦争開戦準備のため試験も出来なくなり、装備されていたカタパルトも撤去されてしまったそうです。
火薬式で一気にGが掛かるから水偵みたいに機体構造しっかりしてないといけない。英米は油圧式を実用化したからまともに運用できてる。
失敗したけど日本型カタパルトはまだましな方です。ドイツが開発してたカタパルトはトロッコ方式で、トロッコのような台座に戦闘機とかを載せて離陸させるみたいな事しようとしてました。実際は全く役に立たなかったのですが
搭載機50機以下は軽空母。信濃『私は軽空母?』隼鷹型『私も補用機を除いたら48機なんだけど』イラストリアス型『前期型は30機半ばなんですが』
50機以下かつ3万トン以下
排水基準量(´-`).。oO
日本最大級の空母信濃も活躍できなかったな。
せめて半年早く出来ていれば、レイテの時に紫電31型を許す限り搭載して防空空母として役立ったかも⁇
護衛空母なんてそもそもアメリカ式カタパルトがあって初めて運用出来るもの。特に速度の遅い商船改造空母は必須。イギリスも護衛空母はアメリカのおんぶだっこの状態でしたから
日本がシーレーンを甘く見ていた。
どれだけ重視しても相手が相手だからどのみち崩壊するからセーフ
重視したら前線の戦力が少なくなって戦闘そのものが出来ないからね。
日本の国力では2年以上の総力戦に耐え得る海軍を用意するのは無理。ましてや、海軍だと陸軍の様にリストラで人件費と言う手は大して有効では無いし艦艇維持費がバカ高い。
3000人も乗ってる船を見捨てて船団は逃げるって
リ ス ク 分 散
日本版ソードフィッシュとも言える複葉の96式艦上攻撃機が、それなりの数が残っていればねぇ……。ミッドウェイの頃までは、少数機が残っていたようですが(あの飛龍の写真を撮ったのは、鳳翔搭載の96式)。小型空母用の艦上対潜哨戒機としてエンジンを金星に載せ替えて再生産の話もあったけど、生産用の治具が全部廃棄されていて立ち消えになったと聞いてます。とはいえハルゼー台風がやって来たら、どうにもならんかったでしょうね。正規の空母機動群が商船団狩りをするって、帝国海軍からしたら「反則だ! 艦隊決戦思想に反する! アメリカ人は頭おかしい」と叫びたくなる事態でしょうね。
日本空母の欠点に必ずカタパルトがないといつも言ってくるけどなんでそれを開発できなかったの?なにが技術的に難しいの?
当時、空母用に使えるカタパルトの型式は空気式と油圧式の2種類でした。そのどちらもシリンダーとピストンの気密性と耐久性が重要なんですが、日本にはその技術が無かったんです。具体的には金属材料の冶金技術と、それを加工する精密工作技術、気密性を高めるシール材を作る高分子材料ですね。水上機をぶっ飛ばすのに使っていた火薬式カタパルトは、上記より技術的ハードルは低かったです。ただ機体を乗せるヤグラ(架台)の再セットや火薬筒の再装填に時間がかかり、短時間の連続射出することが不可能でした。そもそも日本海軍が計画していた空母用カタパルトは、米英のようにワイヤーで機体を引っ張るのでは無く、機体をヤグラ(架台)に乗せて射出する方法、つまり水上機用カタパルトの延長で考えていました。つまり、運用上のカタパルト射出重量は機体+ヤグラになって米英スタイルより重量がかさむ上に、上記のような技術不足に加えてヤグラの取り回し問題は最後まで解決せず、結局はいつもの「現場が頑張れば何とかなる」で放棄されました。仮に何とかして米英のカタパルト技術をパクったとしても、艦載機がワイヤー射出に対応してません。おそらく零戦をワイヤー式で射出したら、そのショックで機体が歪むでしょうね。グラマンやコルセアの機体が頑丈なのは、それなりの理由があったんです。
航続1100カイリではどこにもいけないぞ。
桁が間違えてません?
同じ様な空母ありますよね~!龍驤なんて良いと思いますよ!確かにあれも鈍足だからほぼ単独で戦っていたと思いますよ!!闘将角田覚治少将の元本当に積載数が少ないのに!!
龍驤は29ノットなので、加賀瑞鳳祥鳳より若干早く、千代田千歳と同じですね。
日本がシーレーンを、甘くみた結果ですね!
日清・日露戦争でシーレーンを守るために戦った明治海軍その際の華々しい艦隊決戦にあこがれて本分を忘れた昭和海軍
零戦とかを長距離飛行させて移動させると行方不明になるだけでなく任地で発動機不調おこす機体が多くてすぐに役にたたないから空母で運べれば任地に行く補充の整備員や空母の整備員から整備してもらいながら航海出来るから着いてすぐに実戦投入出来るって昔近所にいた元零戦パイロットやったおじいさんが言ってました。
日本のは護衛空母で無く、空母型輸送艦で、陸軍機や荷物を南方に輸送してましたね!
アメリカ軍の様にカタパルトが有ればね(°▽°)?
@@ヤーマイ🎉
米軍からは日本海軍の商船改造空母は隼鷹型以外は航空機輸送艦とした方が脅威だった。
回想録によれば、甲板下の艦橋は、敵機来襲の時に見通しが効かなくて困ったそうです。航空機輸送任務は、帰りに「要修理」の航空機を乗せて帰ったようです。そうしないと忙しく狭い前線基地では「要修理」と「要組み立て」の機体が同じところに放置されっぱなしになって、どうにもならなかったらしいです。
効かなくて ➡ 利かなくて
空母機用のカタパルトを実用化できなかったのが痛い・・・
サマール沖海戦では、弱小な護衛空部群でもそれなりに飛行機を飛ばして、追撃する日本艦隊を翻弄できたのに。
鷹型って響きは良いんですけど…護衛艦が脆弱でなければ活躍したような💪
艦隊空母の搭乗員確保も四苦八苦でこっちまで搭乗員が回ってこないのと、当時の潜水艦は潜水も出来る船でしかないので、発見したら浮上航行で先回りして待ち伏せなので
哨戒機が飛んでるだけでも浮上航行を制約出来て、潜水航行だけでは追いつけないで攻撃チャンスを逃すのでないよりゃまし。
大井篤著「海上護衛戦」に、当時の小型空母に対する所感が述べられていて、連合艦隊も海上護衛隊も(戦術単位として使い道がなく)が正直なところでもて余し気味、航空機輸送が一番に最適であったようです。
雲鷹は、大叔父が乗っていて、東シナ海で1944年に潜水艦から雷撃されて沈没したとき、戦死した船だったのですが、それを知ったのは戦後50年もたってのことでした。
ウォーターラインシリーズで買ったな。。
ワタクシも10歳で初めて買ったウォーターラインシリーズ第一号が冲鷹でした。かれこれ30年以上前ですが今も手元に健在であります。
@@タカタカ-v7x 私は最初に買ったのが、文房具屋にあった軽巡の木曽でした。そこからしばらく散財してましたww
後期に買った葛城など数個はいまだに未開封。。いつか処分しないと思いつつそのまんまです。
お!木曽ですか!シブイですね
初めて買った艦はやはり覚えてるものですね!ワタクシも冲鷹は覚えてるんですが二隻目は何買ったか覚えてないですw未だにウォーターラインシリーズいじくってます!10歳の頃のままおじさんになってしまいましたw
島嶼航空戦が増加…戦前に井上成美大将(最終階級)が取りまとめた「日米戦の形態」で、島嶼部の航空基地を不沈空母として整備活用する重要性を説いていましたね。
海軍は元々英米戦を想定して計画されていなかった(米内光正大将の言)ので、途中で海上交通線の護衛力強化を目指しても、画餅で終わるのは当然のことだったのではないかと思います。
アメリカはドイツの潜水艦攻撃で輸送船が血祭りにあげられると、対Uボートの組織を編成し、通信の傍受解析を行い、大規模な船団で航行するようにし、通信を傍受すると進路を変更。イギリスと協力して双方が対潜哨戒機を飛ばして、浮上航行中のUボートを攻撃して撃沈。
それに対して、ドイツはブラックギャップポイントに潜水艦群を配置して、対潜哨戒機の航続距離圏外で輸送船団を狩りまくる。
アメリカはそれに対して、商船改造の小型空母に油圧カタパルトを装備して、胴体にレーダーを装備したアベンジャー艦上攻撃機とF4Fワイルドキャット戦闘機+爆弾をペアで運用する「ハンター・キラー」システムを構築して、護衛駆逐艦のヘッジホッグ、フォクサーなどの対潜水艦火器の向上も並行して、群狼戦術を徐々に無力化。
「はちまんまる」ではなくて「やわたまる」では?
日本郵船㈱のNYK を貨客船名のイニシャルにしてるからな
艦隊型空母として魚雷調整室とか設備は正規空母に準じてるんだけど、速度や飛行甲板面積で運用に難があったからなぁ
輸送艦としては高速だし、広い格納庫は荷物積むのにも都合いいなw
何より速度が、遅いから一線級の機体が運用が難しかった!戦闘機はともかく艦爆も艦攻もフルに爆弾詰めなかった、アメリカは油圧カタパルトを実用化してたから護衛空母からでもF4Fなんかをフル装備でも発艦出来た、日本にはなかった、水上機用の火薬式カタパルトはあったが九九式や97式には使えなかったからね
米空母のカタパルトはワイヤーで機体を引っ張るが、発進したあとはワイヤーはそのまま海に捨てるらしい。つながったままうまく外れなかった場合は機体を引き留めて事故になるからだろうな。
カタパルトがダメなら替わりにロケットブースターをもっと早く開発してたら実用化できてたんでないかな?
日本郵船ってこん時からあるんだ
株でお世話になりました
速力が遅い、カタパルトが無い。
日本空母のカタパルトですが、昭和16年、空母・加賀に3基のカタパルトが装備されて試験に入る予定だったのですが、カタパルトの地上試験で射出した機体が破損して「こんな危ない装備は必要ない」と搭乗員達の猛反発を受けて、その後太平洋戦争開戦準備のため試験も出来なくなり、装備されていたカタパルトも撤去されてしまったそうです。
火薬式で一気にGが掛かるから水偵みたいに機体構造しっかりしてないといけない。英米は油圧式を実用化したからまともに運用できてる。
失敗したけど日本型カタパルトはまだましな方です。ドイツが開発してたカタパルトはトロッコ方式で、トロッコのような台座に戦闘機とかを載せて離陸させるみたいな事しようとしてました。実際は全く役に立たなかったのですが
搭載機50機以下は軽空母。
信濃『私は軽空母?』
隼鷹型『私も補用機を除いたら48機なんだけど』
イラストリアス型『前期型は30機半ばなんですが』
50機以下かつ3万トン以下
排水基準量(´-`).。oO
日本最大級の空母信濃も活躍できなかったな。
せめて半年早く出来ていれば、レイテの時に紫電31型を許す限り搭載して防空空母として役立ったかも⁇
護衛空母なんてそもそもアメリカ式カタパルトがあって初めて運用出来るもの。特に速度の遅い商船改造空母は必須。イギリスも護衛空母はアメリカのおんぶだっこの状態でしたから
日本がシーレーンを甘く見ていた。
どれだけ重視しても相手が相手だからどのみち崩壊するからセーフ
重視したら前線の戦力が少なくなって戦闘そのものが出来ないからね。
日本の国力では2年以上の総力戦に耐え得る海軍を用意するのは無理。
ましてや、海軍だと陸軍の様にリストラで人件費と言う手は大して有効では無いし艦艇維持費がバカ高い。
3000人も乗ってる船を見捨てて船団は逃げるって
リ ス ク 分 散
日本版ソードフィッシュとも言える複葉の96式艦上攻撃機が、それなりの数が残っていればねぇ……。
ミッドウェイの頃までは、少数機が残っていたようですが(あの飛龍の写真を撮ったのは、鳳翔搭載の96式)。
小型空母用の艦上対潜哨戒機としてエンジンを金星に載せ替えて再生産の話もあったけど、生産用の治具が全部廃棄されていて立ち消えになったと聞いてます。
とはいえハルゼー台風がやって来たら、どうにもならんかったでしょうね。
正規の空母機動群が商船団狩りをするって、帝国海軍からしたら
「反則だ! 艦隊決戦思想に反する! アメリカ人は頭おかしい」
と叫びたくなる事態でしょうね。
日本空母の欠点に必ずカタパルトがないといつも言ってくるけどなんでそれを開発できなかったの?なにが技術的に難しいの?
当時、空母用に使えるカタパルトの型式は空気式と油圧式の2種類でした。
そのどちらもシリンダーとピストンの気密性と耐久性が重要なんですが、日本にはその技術が無かったんです。
具体的には金属材料の冶金技術と、それを加工する精密工作技術、気密性を高めるシール材を作る高分子材料ですね。
水上機をぶっ飛ばすのに使っていた火薬式カタパルトは、上記より技術的ハードルは低かったです。
ただ機体を乗せるヤグラ(架台)の再セットや火薬筒の再装填に時間がかかり、短時間の連続射出することが不可能でした。
そもそも日本海軍が計画していた空母用カタパルトは、米英のようにワイヤーで機体を引っ張るのでは無く、機体をヤグラ(架台)に乗せて射出する方法、つまり水上機用カタパルトの延長で考えていました。
つまり、運用上のカタパルト射出重量は機体+ヤグラになって米英スタイルより重量がかさむ上に、上記のような技術不足に加えてヤグラの取り回し問題は最後まで解決せず、結局はいつもの「現場が頑張れば何とかなる」で放棄されました。
仮に何とかして米英のカタパルト技術をパクったとしても、艦載機がワイヤー射出に対応してません。
おそらく零戦をワイヤー式で射出したら、そのショックで機体が歪むでしょうね。
グラマンやコルセアの機体が頑丈なのは、それなりの理由があったんです。
航続1100カイリではどこにもいけないぞ。
桁が間違えてません?
同じ様な空母ありますよね~!龍驤なんて良いと思いますよ!確かにあれも鈍足だからほぼ単独で戦っていたと思いますよ!!闘将角田覚治少将の元本当に積載数が少ないのに!!
龍驤は29ノットなので、加賀瑞鳳祥鳳より若干早く、千代田千歳と同じですね。
日本がシーレーンを、甘くみた結果ですね!
日清・日露戦争でシーレーンを守るために戦った明治海軍
その際の華々しい艦隊決戦にあこがれて本分を忘れた昭和海軍